一年365日。
事件は私を待ってはくれない。


私が元気なときも
あなたがいなくなったときも







≪ with a gentle look ≫



***



「これでいいわ」


ざっと目を通して部下からの書類をチェックし終えると、
ようやく少し時間ができた。
コーヒーでも一杯飲もうかしら。
あ、でもその前に・・・



デスクの上に置いたままの携帯電話を手に取り、慣れた手つきで
ボタンを押す。
まだ朝も早い。あの男のことだから寝ているかも。
でもさっき家の方へ電話しても彼女出なかったのよね。
もう伝言板見に出かけちゃったのかしら。



プルルルル・・・

何回目かでコール音が途切れ、予想通り、寝起きの男の声が
聞こえてきた。


「・・・はい」

「ハァイ♪ 僚」


「もっこりのツケなら夜払いにきてくれ・・・」


「あら、だからこそ今連絡したのよ?」


「へいへい。で、またタダ働きさせようって魂胆か?」


「フフッ、どうかしら♪」


「断る!!」




最近は特にこの男を説得するのに一苦労。
それというのもどうやら漸く彼女と素直に向き合えるように
なったらしい男は、私とのもっこり報酬にも前よりなびかなくなった
ってわけ。
ま、本当のところ、それも元々カタチだけの約束。
お互い払うも払われる気もさらさらなかったんだけど。


男は私から彼を奪ったっていう罪悪感もあるのかもしれない。
でもいつだったかそんなことを口にしようとする前に、先回りして
否定された。



そうよね。現に、あなたにとって彼女は罪悪感で傍に置いている
存在なんかじゃないもの。
あの男の彼女に対する執着はすさまじいものがある。



もう男から彼女を誰も奪えないだろう。その逆も然り。
それに気付かないのは当の本人たちだけなのよね。



そしてそのことを他の誰よりも早く見抜き、危惧していた彼のことを
ふと思い出す。

彼はいつもそうだった。人の全てを見透かすような、真っ直ぐな瞳を
持っていた。







――――――――そう、あれはまだ“彼”がパートナーだったころ。









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「すまんな。毎回手間とらせてしまって」


「いいのよ。仕事の方は片付いたの?」


「ああ。冴子が提供してくれた資料のおかげだ」



「ありがとうな」そういって彼は大きめのレンズの眼鏡に手をかける。
照れているときの彼の癖だ。

いつも彼とは新宿のとある公園のベンチで待ち合わせる。
お互いの仕事を協力したり資料を提供したりするときは、
毎度のことだ。



「槇村は、この後は?」


「ちょっと妹が近くまで来ているもんでな。たまには外でご飯でも
食べようって」


「噂の香さん?」


「あぁ」



そういって彼は嬉しそうに微笑む。彼に妹の話をさせたらもう
止まらない。
それほどまでに恐ろしいシスコンっぷり。
しかし彼の話には何度も聞いていたが、私は実際会ったことも、
見たこともなかった。



会ってみたいわ。私も、香さんに。




その言葉がいつも喉の奥にひっかかって出てきそうで
出てこなかった。
私と彼の複雑なようで曖昧な関係の中では、そんな台詞ですら
何かを動き出させてしまいそうで、怖かった。



「じゃあ、私は行くわ。妹さんとの食事、楽しんできなさいよ」


今日も代わりに、当たり障りのない言葉を口にする。


「ああ、すまんな冴子、毎回。ありがとう」


「その台詞ならさっき聞いたわ」


「そうだな」


「当然、今度は私の仕事の方にも協力してもらうから♪」



そう言って私と彼は「いつもの挨拶」を交わし別れた。








公園の出口を出てすぐのところで、急に人影が飛び込んできた。
私の肩とその人影が思いっきりぶつかってしまい、お互い
よろめいてしまった。



「あっ、ごめんなさい!怪我ないですか?!」


はっきり澄んだ声が聞こえ、ふとそちらに顔を向けるとそこには
何とも可愛らしい高校生くらいの男の子が立っていた。

大きな瞳。無造作なカールがかったショートヘア。整った目鼻立ち。



「いえ、私は平気よ。そちらこそ、大丈夫かしら?」


「あ、はい。すみません!おれそそっかしくて・・・」


へへっとばつが悪そうに笑う男の子は、慌てて足元に落ちている
私の鞄を拾うと私に渡してくれた。


「良かった!!怪我なくて。ほんとすみませんでした!」


そう言ってペコっと頭を下げた後ニコリと笑いかけた顔を見て、
私は自分の思い違いに気付いた。



この子は、女の子だわ・・・



格好こそジーパンにパーカーというなんともボーイッシュな
出で立ちだが、中身はなんとも可愛らしいまだまだあどけない
女の子。


まだこの娘は蕾なのね。


くすっと笑うと、私は軽い会釈をして女の子とすれ違った。
そのとき、女の子が一瞬ふっとこちらを振り向いた気がした。



「この香り・・・」



女の子はぼそっと呟いた。不思議に思って自分も振り返ろうと
したとき、女の子は既に何かに向かって公園の中に駆け出して
いったようだった。



「あっアニキーー!!」



彼女の声に私は今度こそはっとして慌てて振り返った。が、彼女の
後姿は既にどんどんと小さくなっていき、公園の中へと消えていった。





もしかして、彼女が・・・?





あの蕾が開き、美しく咲きほこるときを想像する。

あれは彼が過保護になるのも無理ないわね。





彼女の存在は私の中に鮮烈な印象を残していた。

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