「38度・・・・・」


目の前にかざしている棒が示す数値を読み上げると、僚はチラリと
横を見やる。

視線の先には38度の熱を持った人物。


「あ、はは・・・参ったね、これ」





≪Christmas 〜three years ago〜≫






どうも朝からおかしいと思っていた。

いつもならこんなに頭は重くない。

普段ならこんなに喉は熱くない。

こんなに歩いていてふらふらもしない。めまいもしない。



それでもここんとこ珍しくたてこんだ依頼のおかげで、たまりに
溜まった家事をどうしても午前中までには済ませたくて。
地面がぐにゃぐにゃと揺れていることに構いもせず洗濯物やら
掃除機やらを片手に部屋中をばたばたと駆け回っていた。




そう、急に僚が乱暴にあたしの手を掴んでその動きを止めさせる
までは。



その後は手を掴まれたまま、引きずられるようにリビングのソファに
連れて行かれ、強制的に座らされた。


「僚?・・・早いね、今日。てっきりもっと寝てるかと・・・」


続きの言葉が発せられる前に、自分の口に体温計が差し込まれる。


あたしは喋れるはずもなく、しばしお互い沈黙が続く。


ぼーっと僚を見ると、寝癖がついたまんま。本当についさっき起きた
ばかりなのだろう。


あのまま出掛けるって言い始めたら、やっぱ注意してあげた方が
いいわよね・・・。



霞がかかった頭の中でそんなことを考えていると、ピピピッと小さな
電子音が鳴った。
あたしが自分で見ようとする手より早く、僚が体温計を口から
奪い去った。



「38度・・・・」


「あ、はは・・・参ったね、これ」



たしなめるような僚の視線に、苦笑いを浮かべるしかないあたし。
そして38度という事実を突きつけられたからか、体がさっきより
さらに5割増で重く感じる。
それでもまだ残っている洗濯物を片付けなきゃ・・・と、重い体を
引きずりながらも洗濯機に向かおうとヨロヨロ立ち上がる。




「おい、どこ行くんだ?」


「どこって、洗濯物」


「・・・ばかか、38度」



手に抱えていた洗濯物を取り上げられる。



「・・・・・・へ?」


「良いから寝てろ、38度」



あの、あたし、“香”っていうんだけど・・・・。




そんな言葉を言えるはずもなく、あたしはおとなしく眠ることにした。



あぁ、それに、今日は・・・・・。






****






チッチッチ・・・




時計の針の音がやけに耳につく。



ごろごろと何度か寝返りを打つと、あたしは大きく息を吐く。
その吐いた息の熱さで自分の置かれている状況を思い出す。



そうだ、熱、出てんだっけ・・・。




依頼が無事に昨日終わって、ほっとしたからなのか。
それにしても、神様っていじわるだと思う。



なんだって、今日にしなくたって良いじゃない。



午前中にやること済まして、午後からは準備を始めるつもりだった。
きっと僚はいつものようにどこかへ飲みに行ってしまうのだろうけど。


せっかくの年に一度のイベントだもの。
街を歩くと感じる周りの雰囲気に便乗して、自分もささやかながらも
ちょっぴり豪華なディナーを作ろうかと考えていたのに。



あ〜あ、今年は依頼料が入るから、年末も懐暖かに過ごせると
思ってたのにな。



現実は静まりかえった部屋で、横になっている自分。


本当に、神様はいじわるだ。






僚はといえば、どこに出かけたのやら。



あたしが自室に引っ込みベッドに寝ころんですぐ、僚がひょこっと
顔を出した。



「おれ、ちょっと出かけてくっから」


「・・・・いってらっしゃい。あんま飲んで来ないようにね」




かろうじて意識が残る頭であたしが伝えた言葉は、“飲みすぎ注意”
の一言だった。

まぁ、あの男が、声をかけてくれただけでも良しとするべきよね。




そう自分を納得させながら、頭まで布団をかける。







あたしと僚の関係は、ただの仕事上のパートナーで。

別に仕事が無いときは、お互いどこで何しようと勝手だし。

あたしがとやかく言える立場ではないことは、百も承知。




ましてや、今日なんて日は。


ここよりもいたい場所があればそこへ行くし、あたしよりも一緒に
いたい人がいればそっちへ行くのが当たり前のことだもん。





本当は昨日、依頼がもう一日延びれば・・・なんて不謹慎なことも
考えてしまっていた。
そうすれば、あくまで“仕事上のパートナー”でも一緒にいられる
理由が出来るから。





そんなこと考えたから、バチが当ったのかもな。





布団の中で自嘲的な笑みを浮かべると、いつしか思考は夢の中を
漂っていた。





****





どのくらいの時間が経ったのだろう。



おでこに冷やりとした感触。



あたしは思わず目を開ける。




「お〜い、38度。お目覚めか?」




そこには思いがけない至近距離で自分の顔を覗き込む僚の顔があった。
あたしは思わず目を見開く。




「りょ、りょう・・・!?」




落ち着かずに目をきょろきょろとさせていると、僚は顔を引っ込め、
代わりに小さな袋を目の前に差し出す。


「コレ飲んどけ」



勢いでその袋を受け取ると、慌ててあたしは体を起こし、
袋に視線を落とす。


「・・・薬。たまたまかずえちゃんに会ってお前のこと話したら、
良いのがあるってもらった」


「そう。あ、ありがとう・・・・・・じゃなくて、僚、なんでここにいんの?
良いの?予定あるんじゃないの」



カラカラに乾いた喉から、漸く言葉を搾り出す。僚はあたしの
矢継ぎ早の質問に動じることもなく、のんびりとした口調で答える。


「・・・ん〜?ま、今日くらいは他のダサ男にもっこりちゃんを愛でる
チャンスを与えてやろうかと思ってな〜??」



「なるほど。要はナンパに失敗したワケね」


「・・・・・うるせえ。そんだけ言えりゃもう熱はないな」



不貞腐れたようにそっぽを向く僚に、思わず笑みがこぼれる。
一人でうだうだ考えていたことが嘘のように、頭の中が
すっきりとしていくのがわかる。
僚はあたしの頭の上にポンと手を置くと、そっけない口調
で言葉をかけた。



「ま、とにかく寝てろ、37度」



そう言い残すと、僚は部屋から出ていった。










かすかに頭に残る大きな手の感触を感じながら。

今なら落ち着いて眠れる気がする。

薬を飲んで、少し眠ろう。





あたしはサイドテーブルに置いてあるペットボトルを取ろうと、
手をのばす。


その時。ペットボトルを持ち上げると、その奥に小さな赤いものが
置いてあることに気がついた。



あたしは思わずそれを手に取って、目の前まで持ってくる。
そうでもしないと、今目の前にあるものが信じられないようで。



そこにあったのは、手のひらの半分ほどの小さなサンタクロースの置物。

片手に大きな袋を持って、もう片方は軽く手をあげている。
その頭の先からは、細い紐のようなものがちょろんと出ている。



キャンドルだ。




勿論あたしはこんなもの見たことも買った覚えもない。
それでも現に今、この部屋にこうして存在しているキャンドル。


ってことは・・・・。





あたしは小さなキャンドルを胸の前で握り締めた。
熱を持った身体の中で、溶けてしまいそうなほど、強く。






やっぱごめん。神様ありがとう。




僚とこうして傍にいられた。傍にいてくれた。

それだけであたしは嬉しい。



それが例えあたしが寝込んでいるからだとしても。



何か理由が無いと、僚の傍にいることができないから。



さっき、あたしの顔を覗き込んでいた僚の姿を思い出し、
笑みがこぼれる。







ナンパ、失敗するの当たり前だよ。





寝癖、直さないまま出かけたんでしょ?










ねぇ、僚。今夜だけは。




聖なる夜にかこつけて。熱い身体を言い訳にして。



少しだけうぬぼれてもかまわないかな?






あなたが出かけたのは、あたしのためだって。



寝癖も直さずに、出かけてくれたって。








そっと手を開き、小さなキャンドルを手で包みながら眺め続ける。





ふふっと少し笑うと、あたしは薬を飲んで布団に潜り込む。










とにかくまずはこの熱を下げなきゃね。




明日会うときは、ちゃんと“香”って呼んでもらえるように。

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