この気持ちの名前




仕事場に恋愛を持ち込むべきじゃないし、
持ち込みたくない。

そんな話を友人と話していたのは、
確かつい数ヶ月前だったはず。
舌の根も乾いていない、ついこの間の話。


◇◇◇

「野上さん、ちょっといいですか?」
「え?」
少し後ろをマイペースに歩いていた
槇村の気配が、背後から遠ざかってゆくのを
感じ、振り返った時にはすでに猫背気味の背中は、
違う方向へと向かっていた。

殺人事件の聞き込みを回っている、この状況。
まだ、数十件と聞き込み対象が残っており、
容疑者も絞れていない。

彼とコンビを組まされて数ヶ月、
彼の仕事ぶりが見た目とは大きく違って手際がよく、
敏腕であることは認めていた。

だが、そのマイペースさには
まだ慣れていない。

足早に、次の聞き込み先へと向かっていたその歩みを
相棒のその一言で乱された事で、
たぶん槇村の歩いてゆく先を確認しようした私の視線は
少し尖っていたかもしれない。

「・・・ママ〜、ママ〜」
そして、足早に流れていく人々の流れに今にも踏まれて
しまいそうな所にしゃがみ込んでいる、
小さな女の子が泣いているのを認める。
歳は3、4歳という所だろうか。

「どうしたのかな?」
そんな女の子に、同じ目線で話し掛ける槇村の姿。
それは、槇村の視野の広さと私の余裕のなさを
見せ付けられる瞬間。
気付けなかった自分自身が、悔しい。

「ママがいなくなっちゃったの・・・」
「そっか。じゃ、お母さん探してくれる所に
行こうか」
「探してくれる所なの・・・?」
「そうだよ」
「じゃ、行く」

小さく女の子が頷くと、ポンポンとあやすように
頭を撫でてから手を取って立ち上がらせ、
こちらに手をメガホン代わりに声を張り上げた。

「野上さん、すみませんがちょっといいですか?」
「ええ、もちろん」
当たり前ではないかという表情をするのが、
私のせめてもの虚勢。
どうせ、槇村にはなんの効果もないだろうけど。

迷子の小さな女の子がいるっていうのに、
相棒への変な対抗意識を燃やしている自分自身に、
また自己嫌悪。

このところ、妙に槇村に負けたくない気持ちが
仕事中所々顔を出していて、私自身持て余していた。
なぜ、対等でありたいと思ってしまうのだろう・・・

交番に連れ立って行き、状況を説明すると
数人いた警官達がワラワラと女の子を取り囲み、
椅子に座らせると名前やお母さんとはぐれた時の
状況などを聞き始めた。

「もう心配はいらないからね。この人達が
お母さんを探してくれるからね」
女の子をこの制服に身を包んだ同僚達に任せて
この場を去るのが大いに心残りだという
表情をしながらも、槇村は女の子を
心配させまいと笑顔を向けた。
トレードマークのズレ落ちかけた眼鏡を、
指で直しながら。

ああ、指が綺麗かも・・・
そんなまた変な思考が割り込んでくる。

「お兄ちゃん、行っちゃうの?」
それでも、制服警官達に囲まれている女の子は、
あまりにも所在なげに槇村を見上げた。
手は、槇村のくたびれかけたコートの裾をしっかりと
掴んでいる。

「お母さん来るまでいてあげたいんだけど、
お仕事あるからなぁ・・・よし、
ちょっとこのお姉さんと待っててね」
槇村は、そう言うと私に何も説明せず、
私の手を女の子のコートを掴んでいた小さな手に
握らせると、交番から走り出て行った。

不安げに見上げてくる女の子に
私も笑顔を向けると、小さな手で
ぎゅっと握り返しながら
はにかみながら笑い返してくれる。

だから、槇村の勝手な行動に
怒れなくなってしまった。

「お待たせ!」
少し走ってきたのか、少し息を弾ませながら
戻ってきた槇村の手には、大きなテディベア。
「わぁ!クマさん!!」
「はい。このクマさんと一緒に待ってれば、さみしくないだろ?」
「うん!!」

そう言ってテディベアを抱き締めた女の子の事を、
見守る槇村の視線はとろけるように優しくて、
なぜか少しズルイと思った。

この感情は、何なのだろう。
槇村が、あの笑顔をあの女の子に向ける事で
心の奥底でチリチリと感じる、この感情は。
自分にもあの笑顔を向けて欲しいなどと、
なんと場違いな事を考えてるんだろう。

「仕事に戻らないといけないので、
また後で様子見にきます。よろしくお願いします。
行きましょう、野上さん」
制服警官達にそう告げると、少し仕事モードに
戻った視線が私に向けられる。

少しの、落胆。
一体なんだというのだろう。

「あ、野上さんも欲しかったですか?テディベア」
「は?」
「だってあの女の子の事羨ましそうに見てたし」
「!! そんな事ありません!全然欲しくありません!
聞き込み、戻りますよ!」
「はい、はい」
槇村の穏やかな笑みに余計神経を逆撫でられ、
私はつい声を荒上げ、ヒールの音を大きく立てて踵を返した


◇◇◇


「はい、野上さん」
「え?」
後日渡されたのは、あの女の子に渡していたのと同じ
テディベア。

「い、いらないって言ったじゃないですか!?」
ランチ中に急に渡されたラッピングされたテディベアに、
つい声のトーンが上がってしまって、
しかも勢い余って椅子からも勢いよく
立ち上がってしまったものだから、
集めてしまった周囲の好奇の視線が、背中に痛い。

慌てて喉の奥で小さく体裁を整える為に空咳をして、
椅子に座り直す。

「そんな事言わずに、受け取って下さい」
周囲の視線も気にせず、ニコニコとテディベアを
差し出している槇村には勝てない気がする。

「あ、ありがとうございます」
らしくなく、口篭もってしまう口調を心の中で
叱責する。
・・・全然効果ないけど。

そして、こんな勘違いプレゼントでも
槇村から貰う事に心の中に浮き立ってくる
この嬉しさは何なのだろう。



ああ、そうか。
その時、あえて目を背けていた
この気持ちの名前の
最後の1ピースがストンと心に
嵌って、気持ちに名前がついた。


このところ振り回されてた
この感情についた名前、
それは『恋』だった。


「槇村さん、でもなんで私に?
あの時、私はいらないって言いましたよ?」
さて鞄にも入らないこの私には不似合いなプレゼントを、
どうやって持っていこうと思案しながら聞いてみると、
槇村はあの悪びれない笑顔で頭を掻きながら、のたまった。

「いやぁ、うちの妹も欲しいクセに
欲しくないとよく突っぱねるんで、野上さんもそうなんだろうなぁと思って」
「・・・」
「あれ?野上さんどうしたんですか?」
「なんでもありません!!」

この気持ちに気付いた瞬間に、
まだ見ぬ妹さんはちょっとしたライバルに昇格した。


fin


初めて、冴子さん&槇村話書いてみましたv(^^)
お仕事だから、やっぱりさん付けかなぁとか
結構妄想しがいありますね♪
私の中では、アニキはやっぱりピントがちょっとずれてる
天然さんイメージなので、それを出すには
アニキの一人称だと本人にとっては当たり前だろうし・・・
という事で冴子さんの一人称ですv
いつかシスコンぶりも書いてみたいかも(^0^)
あとうちも女系家族なので、冴子さんとこの家族っていうのも、
いつか書いてみたいなぁ(笑)


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