波音に誘われて



さぁて、どーすっかなぁ。
俺は助手席で真っ赤になって固まっている香をちらりと見て、
今の言葉を後悔した。


事の発端は子供の日にさかのぼる。
あの日、香が膝に預かっているガキを眠らせながら『いいなぁ』と呟いた
視線の先には、大型連休で行楽地へ向かう
人、人、人の波を映し出したテレビ。

心底羨ましそうに呟かれては、『あんな混んでるとこに行って、
何が楽しいんだか』などと憎まれ口もはけやしねぇ。

この1ヶ月、冴羽商事には珍しく依頼が立てこみ、今日も依頼人を
実家まで送り届けた帰りだった。
新宿まで戻りかけ、そういえばあの日に思いついた事を実行して
やろうと思い直してそのまま高速を降りずに車を走らせた。
問いたそうな表情で香は見つめたが、
何も言わなかった。

向かった先は、海。
まだ泳ぐには早いが、そろそろ海風も心地よい季節だ。
砂浜近くの松林の横に車を止めると、香が不思議そうな表情で
首をかしげた。

「リョウ、どうしたの?海なんて。
このところ依頼続きで疲れてるんじゃない?」
「あー?なんとなくだ、なんとなく」
「ふぅん。ま、いっか、しばらくここいる?」
「せっかく来たしな」
「じゃ、ちょっと出てくるね♪」

そういうと、無邪気に海に向かって飛び出していった。
ゆっくりと車を降りると、少々熱気を帯びた風が頬を撫でていく。
「リョウ〜、この海岸、ちっちゃな貝殻が落ちてる!」
子供みたいにサンダルを脱ぎ散らかして裸足になりながら
波打ち際の小さな貝殻に歓声をあげている香に、自然とほころんだ。
そして、いつもの癖で慌ててポーカーフェイスを立て直すと
辺りをきょろきょろと見回した。

だが、ここには香ファンを自称するお節介な奴らもいない。
習慣ってのはこえーな。
松林の横のコンクリートに腰を下ろし、煙草の煙をゆっくりと
吐き出した。

遠くに、防波堤が見えた。
この辺りは波が強いらしい。
そのせいか、まだ海水浴シーズンには早いってぇのに
何台かのサーフボードを積める車が止まっている。

目を凝らせば、波間から時折覗くボードと人の頭。
「あいつらが浜に戻って来る前に、引き上げねぇとな・・・」
ついつい口に出た言葉に、苦笑する。
ミックが隣にいようものなら、ニヤニヤと速攻で突っ込んでくる事
間違いない。
『いつからカオリを箱に入れて後生大事にしようなどと
考えるようになったんだ?』と。
俺だって、知りたい。

まぁまだ時間はあるだろ。香も米粒台の色とりどりの貝殻
相手に楽しんでるようだし、俺は波音を子守唄に
惰眠を貪る事にした。



少々肌寒い風に頬を撫でられ、俺は目を覚ました。
太陽も、空もいつの間にか赤みを帯び、
香の姿が切り絵のように赤い海と空に、黒く浮かび上がっていた。

冷たい風に追い立てられるように、
サーファー達が浜にあがってきていた。
まだ砂浜にいた香に口笛を吹いて通りすぎた輩に、
俺は遠くから睨みをきかせる。
ったく、間に合わなかったか。

「香ー、そろそろ帰るぞ〜」
「あ、うん!」
俺の声に振り向いたサーファー達の舌打ちが聞こえそうだ。
ざまーみろ。

クーパーを走らせると、香がまとった潮の香りが
車内を満たしていた。
海は、夜を纏って一瞬見せた紅色から
深い闇を内に秘めたような藍色へと姿を変えている。
月明かりと、都心では見えないような数の星明りが
その深い色の海の上で瞬いていた。

こんな穏やかな瞬間が、俺の元に訪れるなんて
誰が想像しただろう。
俺自身そんなものとは無縁だと思っていた。
どこかの路地裏で野垂れ死にする瞬間に、
生からおさらばする時にそんな一瞬があるか
どうかだと思っていたのが、どうだ。

香と共に歩んでいくと決めてからは、
生活の所々に散りばめられた奇跡としか
いいようがない穏やかな時間。

「・・・また、来ようね。海」
「ま、気が向いたらな」
「気が向いたら、ね」
「・・・」

テレを見透かされたような香の言葉に
、 言葉が続かない。
手のひらで転がされる心地良さ。
たいしたもんだよ、お前は。

・・・だが、『ドライブ』ができた時間は
そう長くは続かなかった。
巻き込まれた渋滞。
進まない車の列。

「巻き込まれたな」
「動かないね」
あくびをかみ殺しながら、香が前を見つめた。
あくびってのは、連鎖するのな。
俺もついついハンドルを握りながら
つられて大きなあくびを一つした。

「眠い?大丈夫?」
「んあ?」
「このところ珍しく依頼続きだから、疲れてるんじゃない?
運転代わろうか?」
「お前だって疲れてるだろ-が。お前が運転する方が
あぶねぇつうの」

心配で、自分で運転するより疲れる気がする。
気付けよな。
「何よ、人がせっかく心配してあげたのに。どこかで休む?」
「休むって言ってもなぁ〜」

まだ高速にものっていないから、サービスエリアもない。
しかも、この辺りじゃあ24時間開いているファミレスもない。

・・・あった。
その時目に飛び込んできたのは、少々寂れた
どぎつい原色のネオン。

新宿の界隈にあっても大量のネオンに埋もれて
目立たないだろうが、こんな所だと暗闇に浮かび上がって
自己主張している。

・・・
い、いかん。
ピンク色な不埒な妄想が頭を駆け巡り、
運転中にもかかわらず大きく頭を振って
煩悩を振り払おうとしてしまった。

「ねぇ、リョウ休憩したほうがいいって。リョウだって
疲れてるはずだから、ね?」
そんな俺の内側の状況に露とも気付かず、香はひたすら
俺が疲れてると思って気遣わしげに言葉を続ける。
ったく、人の気も知らねぇで。

そんな澄んだ瞳を横から感じて、
ついついいじめたくなる。
「・・・んじゃあまぁ、お前の言う通り休むとしたら、
あそこしかねぇみたいだけど・・・」
「え?あそこ?・・・!!」

そして、香は固まった。
クーパー内の空気が、心持ち息苦しくなる。

さぁて、どーすっかなぁ。
新宿までこの雰囲気には、耐えられそうにない。
俺の妄想も、抑えるのに苦労しそうだった。

自業自得とはいえ、
自分の発した言葉を、自分の掘った穴を後悔した。


さて、このシュチュエーションの終着駅は?
車は、まだ進まない。


fin


《あとがき》
お待たせいたしました。(^^)
ルミさんのリクエストは
『りょう&香(二人だけでなくてもOK)で旅行か普通にお出かけ』でしたv
遠出だと冴羽商事の大蔵大臣であるカオリンに内緒では行けないだろうし、
近所だといつもと変わらないだろうし・・・と考えてこんな感じになりました。
ただ私はペーパードライバーなので、
どこに依頼人を送って、どこの海に行って…というのが
正直浮かんでなかったりします(^^;)>
小さな貝殻がある海岸は、千葉のある海岸を思い浮かべて書いてみました。
ルミさん、お気に召していただければうれしいのですが(ドキドキ)


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