飽和の先にあるもの
「リョウ、依頼があるの」
冴子はそう言うと、お得意のお色気たっぷりの笑みを浮かべながら
白磁のコーヒーカップをソーサーにゆっくり戻した。
場所は、キャッツアイ。
いつものように閑古鳥の鳴いているここは、
この手の話をするにはもってこいだ。
といっても、最近は真昼間のこの時間帯を覗いては
その汚名を返上しつつあるようだが。
美樹ちゃん目当てのサラリーマンってのはわからんでもないが、
あんなタコに女子高生の親衛隊が出来ちまうなんて、世も末だぜ。
けっ。
おっと、話がそれたな。
冴子からの依頼は、こうだった。
「どうもね、この界隈に可愛いパッケージの小袋でヤバイブツを未成年に
ばら撒いてる輩がいるのよ。ダイエットに効果あるとか勉強がはかどるとか甘い
言葉と一緒に、ね」
「ほぉ〜、そりゃ大変だな」
俺は、ズズーっと緑茶のように目の前のコーヒーを飲んだ。
俺には、関係ない事だ。
だがそんな俺の態度を鼻にもかけず、心持ちこちらに身体を乗り出して
冴子は話を続けた。
「でしょ?だから、リョウに黒幕を突き止めて欲しいのよ」
「あ〜ん?そりゃあ、お前等お国の為に働く警察の方々のお仕事だろ?
お門違いってやつだ」
「それがね、どうやらその黒幕、警察に圧力かけられる位力がある
らしくって・・・」
「政治家か、警察内部かってとこかねぇ。ますます大変だなぁ」
「だから、ね?リョウ、お願いよ」
「んな事言われてもなぁ、俺は正義の味方でもねぇしぃ。」
「あら、もちろん報酬も支払うわよ♪たーっぷり、ね」
「へぇ〜そうですか、そうですか」
「リョウ!ちょっとはちゃんと話を聞きなさいよ!報酬も
ちゃんと払ってくれるって言ってるんだから」
気のない返事に痺れを切らした香が、俺の顔を
冴子側にぐいっと無理やり向けた。
「香ちゃ〜ん、鞭打ちになっちまうって(涙)」
「うるさい!ちゃん聞け!」
・・・冴子からの依頼でいつもと違う点、
それは香を通してちゃんと依頼してきた事。
ったく、どういう風の吹きまわしだよ。
「あら、その方が知らないうちに香さんが巻き込まれる事もなくて、
いいでしょ♪」
香に聞こえないように文句を言うと、しれっとそう言いやがった
冴子の笑顔に、しっかりとツケが増えなくていいからと
書いてある気がした。
「それに、働き次第では・・・ね?」
シナをつくって可愛らしく首をかしげようとも、その手には乗るか。
どうせ、するりと上手くかわすに決まってる。
・・・ま、それでいいと俺が思っちまってる時点で、
実現は夢のまた夢なんだろうがな。
◇◇◇
「・・・で、依頼請けるのは仕方ねぇとして、なんでお前が
ついてくるんだ!?」
「だって、あんただけだと無茶しそうだし...」
ここは、中央公園。
まずは、下っ端の売人の居場所を情報屋のてっつぁんから買って、
そこから黒幕へと順にさかのぼっていく手筈だった。
で、中央公園にいるという売人を追ってきたんだが、
なぜかついてきた香。
「あたしだって、そんなヤツらが新宿界隈でのさばってるって
聞いたら何か役に立ちたいじゃない!」
「尾行するのに目立つんだよっ!」
「大丈夫だって!」
「その自信はどこから・・・」
つい、ターゲットを尾行してるのさえ忘れて口ゲンカを
始めそうになっちまった矢先、ターゲットが急に振り向いた。
気配の探れない、全くの素人って訳でもないらしい。
サイドの植え込みと道との間に柵がされている小道では、
隠れる事もできない。
俺は、とっさに香に抱きついた。
「ちょ、ちょっと、何!?@%*$」
「しっ、静かにしろ!こっちを見てんだよ」
暴れようとした香だったが、すぐに腕の中の身体から、
力が抜けていく。
昔より、状況にすぐ対応するようになったよな、こいつ。
背後の気配を探ると、それでもまだこちらを伺っているのを感じる。
「そのまま、目をつぶってじっとしてろよ・・・」
「うん・・・」
香の耳元で低く囁くと、香は緊張した面持ちで小さく頷いた。
「そのままゆっくりと少し顔を右に傾けろ・・・」
「ん・・・こう?」
香と俺の顔が見えないように、俺自身も顔を右に傾ける。
「ちっ!んだよ・・・」
背後から小さな舌打ちが聞こえ、遠ざかる足音。
痴話げんかの末に仲直りしたカップルとでも、勘違いしてくれたんだろう。
足音に、よどみがない。
ふぅ〜
「おい、か・・・」
その時、俺は迂闊にも腕の中の香を見ちまった。
真っ赤になってぎゅっと目を閉じ、ふるふると震える長いまつげ。
緊張して固まっているとはいえ、抱きごこちの良い、身体。
これは、まさに俺の前に差し出された生贄のカモシカ・・・
い、いかん!
今は仕事だ、仕事。
大きく首を振って、その考えを振り払らう。
そして俺は、唇をあくまで不可抗力のように香の頬に掠めさせた。
気付かれないように、ささやかに奪い取る甘美な瞬間。
いつの間にか、日常からほんの一滴の甘さを掠め取る事が
当たり前になってきていた。
そして、直情的なお手軽な快楽を他から得るよりも、
この瞬間を強く欲するようになってしまった。
この瞬間に執着するようになった今、
水がグラスから溢れるようにいつか飽和が訪れる事は、明白。
飽和がいつ訪れるのか、
飽和の先にあるものは
一体何なのか・・・
答えは、まだ見えない。
「おい!行くぞ!」
「・・・う、うん!」
考えないように、俺は
何もなかったように香の肩を軽く押し、ターゲットを追った。
FIN
《あとがき》
お待たせいたしました。yumiさんのリクエスト『リョウと香が
ただ抱きあったままお喋りする』ですvv
ラブラブでもいいですし、そうでなくてもいいですとの事でしたので、
じゃあラブラブじゃない状況で抱き合ったままってどんなシュチュエーションが
あるかな?って妄想してこんな感じになりました。
月並みになってしまいましたが(^^;)>
おしゃべりがちょっと足りない気もしますが、
yumiさんお気に召して頂けましたでしょうか?(ドキドキ)
Back