ダンスをもう一度 3
入り口のざわめきは徐々に近づいてきた。
そんなに広くない店内だから、
あっという間にそのざわめきは目の前に来て、止まった。
「なんなんだ?君は」
いぶかしげな飯嶋さんの声。
その声につられてぼーっとしたままざわめきの原因を見上げた。
「…え?リョウ?」
そこにいたのは、あたしが一番側にいたいあいつで。
少し怒ったような表情のまま、目の前に立っている。
「な、なんでいるの…?」
状況が状況なだけに、声が震えてしまった。
やっぱり合コンに出てるって事がなんとなくあたしの
立場を弱いものにしていて、ついつい語尾が弱くなってしまう。
喧嘩して飛び出してきたはずなのに…
「…行くぞ」
リョウは怒っているみたいな表情のままそれだけ言うと、
あたしの右腕を掴んで店を出ようとした。
「何するんですか!香さんが驚かれてるじゃないですか。
いくら綺麗だからって突然乗り込んできて連れて行くなんて無礼
極まりないですよ」
リョウの掴んだ腕とは反対の腕を、飯嶋さんが掴む。
あたしは両手を掴まれて引っ張られる形で椅子から腰を浮かした。
周りの人達が、あたし達の動向を注視しているのを
視線から感じる。
「…お前はどうしたいんだ?」
その中でも一番強い光を湛えた瞳が、あたしを見つめる。
濡れたような黒曜石のような瞳。
自分が選ばれると自信に満ちた瞳が、表情がちょっとシャクに触るけど…
答えは最初から決まっている。
左手を振り払って、店の外に出た。
出る時に、視線の端に絵梨子の満足そうな表情が見えた。
『これも計算のうちってわけね』
「目立っちゃったね…」
「……」
「あ、あれはムリやり絵梨子に連れてかれたんだからねっ」
「……」
「別にあたしは行く気はなかったんだから…」
「……」
お店を出てから黙ったままのリョウに、雰囲気に
耐えられなくて、しゃべり続ける。
でも、なんか言い訳にしか聞こえない。
やっぱりなんとなく後ろめたい。
それに、リョウの沈黙が恐い。
やっぱり怒ってるの…?
「…今日は悪かったよ」
「え?」
続ける言葉が見つけられなくなった頃、リョウが口を開いた。
「今日俺がなんか言った言葉に傷ついたんだろ?だから、悪かったっ」
そう言ってこっちを見た瞳はさっきまでの自信あふれたものじゃなくて、
少し頼りない子供のような瞳。
あまりに見慣れないリョウの表情に、本人に言ったら嫌がられそうだけど
かわいいと思ってしまった。
その感情に、つい笑ってしまった。
「なんだよ、何笑ってるんだよ?」
急に笑い出してしまったあたしに、不機嫌そうなリョウ。
「ご、ごめん。…リョウ、心配してくれたの?」
「…あんな表情で飛び出されたら、当たり前だろ」
そう言ってあさってのほうを向いた耳は心持赤くって、
精一杯のリョウの素直な謝罪に水を差してしまった気がして、
慌てて笑いを引っ込めた。
「ごめんね、心配かけて。でもあれはただのあたしの独占欲と嫉妬だから…。
未来さんと比べるなんてあたしどうかしてた」
素直なリョウの態度に、自然と素直な言葉が零れる。
「あー?未来ちゃんってこの間の依頼人だろ?
なんでそこに未来ちゃんが出てくるんだ?」
心底不思議そうなリョウの表情に、あたしの心に
沈殿していた嫉妬は自然ときれいに浄化されていくのを感じた。
リョウの言動一つ一つが、あたしの一喜一憂に連動している。
それはまぎれもない事実で。
でも今回はあたしの言動に、リョウが反応してくれたって
うぬぼれちゃっていい?
「ありがと。あそこに来てくれただけで、十分」
「よくわかんねぇけど、お前の気持ちが晴れたってんだったら、ま、いいか」
リョウの、ほっとした表情についうれしくなっちゃう。
あたしの事気にしてくれるのはパートナーだから、ってだけじゃないよね?
「…ところで、香ちゃ〜ん?独占欲と嫉妬ってどういうことかなぁ〜?」
「え?え、えっと…なんでもない!いいじゃないもう!」
突然、さっきまでとは打って変わったいつもの余裕しゃくしゃくの
笑みを浮かべながら、リョウが覗き込んできた。
急にさっきの素直な言葉に恥ずかしさが湧いてきて、
リョウの視線から逃れる為にそっぽを向いた。
「ま、いいさ。それよりその服装、あの時以来だな」
「え?」
改めてあたしは自分の服を見下ろして、どんなカッコをしているか
認識してあせった。
だってあの時の一夜は、リョウはあたしだと思ってなかったはずだし…
「あ、これは、その、あの!」
「あん時も思ったが、たまにはそんなカッコも悪くないな」
「へ?」
耳どころか、顔も少し赤いリョウの、優しい瞳があたしを見つめている。
一瞬、ここがどこだか忘れた。大通りを走る車のエンジン音、
通りすぎる人達の声も遠くなった。
今リョウ、何て言った?
あの時も…って言った?
あたしと気付いてたとすれば、落としたはずのイヤリングがいつの間にか
戻ってきてた事にも納得がいく。
じゃあ、あの時の優しい視線も言葉も、あの時にしようとしたキスも、
あたしへの、香へのモノだったってこと?
もしかしたら気付いてた?って思う事もあったけど、
あんな優しい仕草であたしとわかってて接してくれてたって
思う自信がなくて…
でも、今のリョウの優しい瞳が、
あの時気付いていた答えのような気がする。
「香、これからどっかいくか?」
あたしは無意識にイヤリングに触れた。
あの時戻ってきたガラスの靴。
ダンスはどちらの靴がなくてもうまく踊れないから…
揃ったイヤリングが、あたしに力をくれる。
「連れてってくれるの?」
リョウの腕に、自分の腕をゆっくりからめる。
「ま、たまにはな」
「ん〜じゃあねぇ、どっかご飯食べいこ?」
「そういえば、メシまだだったな。でもさっきのレストランで
お前食べてたんじゃねェの?男に囲まれて」
「ちょっと、その言葉トゲあるよ?あんな状態じゃ落ち着いて
食べれるわけないじゃない。」
とりとめない、あたし達らしい会話が、今は愛しい。
素直になった眠らない街のシンデレラに、タイムリミットなんて無粋なものはない。
甘い夜は始まったばかり。
FIN
>>>>>あとがき&言い訳
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